金のネックレス

私は数年前、30年連れ添った夫と数年の別居を経て離婚した。

長年一緒にいると離婚の原因すらはっきりしなくなる。

小さいことの積み重ねだったりする。

 

夫に対する不満はいくつも並べられる。

どれか一つではなくて、トータルなのだ。

ある日、突然爆発する。

私が決断したその時、おそらく夫が地雷を踏んだのだ。

 

私に非がないとは思っていない。

思えば、子供が産まれてからというもの生活のほとんどが子供中心だった。

子育てはとても楽しかった。

子供が幼稚園、小学校と進学する度に行事やら役員やらと手間も増えていった。

夫が不満を感じていたとしても不思議ではない。

夫には夫の、私には私の言い分がある。

 

はっきりしているのは、時が満ちたということだ。

夫への不満はずっと前から感じていた。

我慢できたのは子供たちがいたからだ。

子供を立派に育てあげることが大前提だった。

私ひとりで2人の子供を育てていけるのかどうかも不安だった。

打算的と思われるかもしれないが、私には子供がすべてだった。

 

夫と別居したのは下の子が専門学校に進学してからだった。

金銭的に余裕ができたからではない。

まだまだ教育費がかかる時だった。

間違いなくあの時、夫が私を開放した。

 

あの日、夫は休みだった。

夕方、早めの晩酌をしていた時だった。

娘の学費のことで愚痴を言い始めた。

「そんな高い授業料払ってないで俺に小遣いをくれよ。」

 

本気で言ったのかどうかはわからない。

でも私はカッとして言い返した。

「あなたに渡したらお酒や賭け事ですぐなくなっちゃうでしょ。」

 

そんな言い合いが続いた後、夫が私に掴みかかってきた。

もともと暴力を振るう人ではなかったので、殴られるとは思っていなかった。

それでも咄嗟に払いのけようとしたその時だった。

 

私の金のネックレスが切れて落ちたのだ。

小指サイズの3連のリングに細いチェーンを通したネックレス。

高価な物ではないが、私にはとても大切なものだった。

 

長男が小学5年生の時に私にプレゼントしてくれた物だった。

「ママの誕生日にアクセサリーをプレゼントしたい」と言われた時

私は気持ちだけでうれしいからお小遣いは自分のために使いなさいと言った。

その時、息子は悲しい顔をして言ったのだ。

「ママに何か買ってあげたいんだ、ママはいつも買わせてくれない」と・・

 

涙が出るほどうれしかった。

息子が見ていたカタログの中から、あまり高価ではなく好みに合うものを選んだ。

「僕がそれを買ってあげる」

そう言った息子の笑顔は忘れられない。

 

そんな大切なネックレス。

怒りに震える私に向かって夫が言い放った。

「そんなのどうでもいいじゃん」

 

爆発した。

大事な娘の学費のこと、息子からの心のこもったプレゼント。

私が大事にしているものをないがしろにする夫を許せるはずもなかった。

 

あの金のネックレスが引き金になったことは間違いない。

あの細いチェーンのように、私たち夫婦の繋がりは脆いものだったのだろう。

いとも簡単に切れたのだ。

 

その後、数年間いろいろと問題もあったがなんとか乗り越えてきた。

離婚する時は子供達も反対はしなかった。

2人共もう私が心配する必要もないほど大人になっていた。

 

今は誰に気を使うこともなく、気ままな自分の時間を楽しんでいる。

年をとってから1人は寂しくて嫌だと思う人もいるだろう。

私はこの暮らしに満足しているし、ひとりが性に合っていたようだ。

この人生が終わるまで、自分の力で生きていけたらと願う。

 

因みに、あの金のネックレスの経緯は息子には話していない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プラム

結婚してから数年間、私は郊外の長閑な住宅地に住んでいた。

夫と3歳の長男、産まれたばかりの長女の4人で慌ただしくも穏やかな暮らしだった。

 

その地域は田畑も残る住宅地で、自然に恵まれていた。

借家が長屋のように並び、アパートも数棟建っていた。

私たちの住む戸建ての借家は2DKの間取りのためか、周りに住む人たちは若い夫婦や単身者がほとんどだった。

 

近所には息子と同じ年頃の子供も多く、いつも外から子供たちの声が聞こえていた。

息子には仲良しの友達が2人いて、いつも3人で遊んでいた。

その子たちのお母さんと交代で子供たちの遊ぶのを見ているのが常だった。

 

うちの隣にアイ君という男の子のいる一家が引っ越してきた。

アイ君はおとなしそうな子で、お母さんはいつもニコニコしている優しそうな人だった。

 

ある日、アイ君を含めた4人の子が遊んでいるのを私が見ていた時だった。

アイ君がみんなに砂を投げつけだしたため、騒ぎが起こった。

「そんなことしたらダメだよ。みんな嫌がってるからやめようね。」

そう言って割って入った。

アイ君は何も言わなかったが、間もなく家に帰って行った。

 

その日からアイ君が外に出てこなくなった。

子供達に誘うように促してみたが

「今日は遊べないんだって!」と戻って来た。

お母さんが一緒に遊ばせたくないと思っているようだった。

あの時アイ君に注意したことが気に入らなかったのかもしれないが、そのうちにまた外に出てくるだろうと思っていた。

 

ある時、普段あまり交流のない奥さんから呼び止められ

「アイ君のお母さんがあなたやお子さんの事を悪く言っているので気を付けた方がいいですよ。」と言われた。

 

その人はアイ君のママと、マリちゃんという子のママとよくお茶をしているらしい。

「私はアイ君があなたの息子さんに砂利を投げつけたりしてるのを見ているので」

作り話にもうんざりしてきたと言っていた。

別口から聞いたところでは、アイ君のママと喧嘩したらしいが・・

近所付き合いもしなくてはならないし、どうしたものかなと悩んだものだった。

 

そんな時だった。『プラム事件』が起こったのは・・

 

私が家にいると外で遊んでいた子供たちが戻って来た。

みんな手にプラムを持っていた。

うちの息子以外の子は・・

「マリちゃんのママにもらったんだけど・・」

 

みんなの話を聞いてみると、息子にだけくれなかったそうで友達がそのことを言うと

「ごめんね、もうなくなっちゃったんだ。」と言ったそうだ。

アイ君のママと仲良しのマリちゃんのママ。

私の息子だからプラムをくれなかったのだろう。

お友達は自分たちだけで食べるのも気が引けたので言いに来た、ということらしい。

 

悲しそうな息子の顔を見て腹が立たないわけがない。

それでも、グッとこらえて

「じゃあママのクッキー食べる? みんなも入って手を洗いなさい。」

そう言って子供たちを家に上げ、試作していたクッキーでおやつを食べさせた。

 

今ならば勝手に何か食べさせたりしたら怒られてしまうかもしれないが、その頃はまだまだ呑気なもので、それくらいで怒鳴り込んでくる親はいなかった。

『プラム事件』は見ていた大人たち、それぞれの子供たちから親達に伝わったようで

それからしばらくは気まずい空気が流れ続ける事となった。

 

それから間もなく、息子の幼稚園入園に合わせて実家の近くに引っ越すことになった。

私は初めて”ママ友”の洗礼を受けたその地を離れることとなる。

新しい地でも事件は起きるのだが・・

 

アイ君のママとはそんな気まずいままの別れになった。

今でこそ、私は間違ったことはしていないと自信を持って言えるが

あの頃は気持ちが揺れていた。

アイ君を叱らなければ良かったのだろうか・・と思ったりした。

”ママ友”との付き合いの難しさを思い知らされた事件だった。

 

子供を育てる上で”ママ友”は避けては通れない存在である。

関わらなければいい、というわけにはいかないのだ。

 

子供を持つ親なら誰しも、自分の子の悲しい顔は見たくないだろう。

子ども同士の喧嘩ならまだしも、大人が関わってくるなら尚更だ。

自分の言動がブーメランのように子供に返ってくる。

正しい、正しくない、は関係ない。

 

親達はかわいい我が子のために日夜戦っているのだ。

子供に害が及ばないよう、敵を作らないように気を使いながら・・

それが自分の意に反する事であっても。

 

子供は必ず成長する。自分の身は自分で守るようになる。

”ママ友”との戦いは数年で終わりが来る。

その時、ちょっぴり寂しいと感じたのは気のせいだったのだろうか・・

 

今でもプラムを見る度に思い出す。

 あの子達はどんな大人になっただろうか。

元気にしてるかな。

 

もしかしたら今、あの子達が戦っているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒカルちゃん

私は幼稚園の年長さんの途中で隣町に引っ越した。

 それまで通っていた幼稚園はそのまま通うことになり、朝は父の車で登園。

帰りは幼稚園前から市営バスに乗せてもらい隣町の駅前で待っている母と合流。

それが卒園まで続いた。

 

小学校は近くの市立小学校に入学した。

 引っ越してまだ日も浅く、入学時に友達は1人もいなかった。

それでも物怖じしない性格だったので、すぐに学校にも慣れ毎日元気に通っていた。

 

同じクラスにヒカルちゃんという女の子がいた。入学して初めて出会った子だ。

ヒカルちゃんはなぜか私に敵意を持っていたようだ。

理由はわからないがいつも私に突っかかってきた。

引っかいたり噛みついたりしてくる”サルみたいな子”だった。

当然私もヒカルちゃんを嫌うようになり、事ある毎に喧嘩していた。

 

「あんな子いなくなっちゃえばいいのに」

喧嘩をする度にそう思っていた。

 

仲直りすることもなく、3年生になった。

クラス替えで別のクラスになってからは特に意識することもなくなった。

学校で見かけることはあったが、話をすることもなかった。

 

その夏休みの事だった。

ヒカルちゃんは突然亡くなってしまった。

 

車で行った家族旅行で事故にあい、家族4人いっぺんに亡くなったそうだ。

子どもながらショックを受けた事を憶えている。

 

住人のいなくなったヒカルちゃんの家は、数年間そのまま放置されていた。

誰もいないのに夜灯りがつくとか、ピアノの音が聞こえてくるとか・・怪奇現象の噂まで出てくる始末だった。

友達に誘われても、私はヒカルちゃんの家には決して近づかなかった。

 

「あんな子いなくなっちゃえばいいのに」

 

そう思っていた自分が怖くなったのだ。

ヒカルちゃんは本当にいなくなってしまった。悲しいというより、ただ怖かった。

「ヒカルちゃんごめんね」

心の中で謝ってみても、ヒカルちゃんにはもう届かないことはわかっていた。

二度と会えなくなるという事を知った夏だった。

 

それからは、むやみに人を嫌わないようにと気を付けた。

それは今も続いている

 

それでも嫌な人は必ず現れる。

そんな人と出会った時、苛立ちや怒りを覚えることもある。

大人になったってそれは変わらない。

 

全然成長してないな、と思いつつ。

人間なんだから仕方ないと開き直っている。

 

それでも私は

「いなくなっちゃえばいい」とは思わないようにする。

無意識に思ってしまうことをコントロールするのは簡単ではない。

あれから何十年とたった今でさえ・・

 

今でもわからないことがある。

あの頃は深く考えなかったが、私は何故ヒカルちゃんに嫌われたんだろう・・

私が憶えていないだけで何かしたのだろうか。 

 

ヒカルちゃんのことを思い出す度に考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

猫の布団

 

私は母が嫌いだった。

それがいつからなのかはっきりしないが、私は心から母に甘えた記憶がない。

 

私には3歳下の妹がいる。温厚でおとなしい子だった。

すべてを支配したい母には、自我の強い私より妹の方がかわいかったのだろう。

確かに私にとってもかわいい妹だった。母に可愛がられているからといって妹を嫌った記憶はない。

 

私には母を嫌いだと認識した古い記憶がある。

その時の事は今でも鮮明に憶えている。

 

あの日・・私は5~6歳だったと思う。母と妹と昼寝をしようとしていた。

外は雨が降り雷が鳴っていた。

 

母と妹が入った布団には可愛いたくさんの犬が描かれていた。

私は自分の猫の柄の布団に潜り込んだ。

雷の音はどんどん強くなって怖くてたまらなかった。

独りぼっちで布団の中で震えていた。

その時、母の声が聞こえてきたのだ。

 

「こっちは犬の布団だから猫より強いよ。お姉ちゃんは雷様におへそを取られちゃうかもよ。」

母は楽しそうに妹に語り掛けていた。

 

「お母さん嫌い!」

猫の布団に潜り込んだまま小さい声で呟いた。

大好きだった猫の布団、あの日から猫の布団も嫌いになった。

 

母を憎んでいたわけではない。

愛されていなかったわけでもなく、欲しいものは何でも買い与えてくれた。

妹とお揃いの服を作ってくれたし、家族でいろいろな所に旅行にも行った。

よく『仲良し家族』と言われた。そうだったのだろうと思う。

 

変に大人びていた私は大人の喜ぶように行動をした。

母に対する感情も大きくなるにしたがってますます隠すようになった。

それで何か問題があるわけでもなかった。

 

結婚し子供が産まれ、忙しく働いているうちはまだよかった。

子供たちが成人して自由な時間が増えると、両親と過ごす時間も増えていった。

そして、まだ母に対し反発している自分に気づいたのだ。

大人になってからは子供の頃のように自分の感情を抑えることはしなかった。

母とはよく喧嘩をした。

気の強い母と我儘な私、ぶつかり合うのも当然だった。

 

でも、歳を重ねる毎に高圧的な態度をとることもなくなっていった母。

そんな母に苛立ちを感じたり、優しい言葉をかけることができないことに罪悪感を感じるようになっていた。

 

今では怒ることもなくなり、「ありがとう」「ごめんね」が口癖になった母。

本当は優しく接してあげたいのに、素直になれない私。

年老いた母と残された時間を楽しく過ごしたいのに、そっけない態度をとってしまう私。

弱々しい母を見る度に、何とも言えない切なさが込み上げてくる。

 

私はまだ、猫の布団にくるまっているのかもしれない。